スタジオハムノビジョン 絵で伝えるデザイン

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プロフィールreal estate

経歴

1955年生まれ。東京都出身。
1981年 武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科IDコース卒業
     在学中は漫画研究会所属
同年リズム時計株式会社意匠部入社
     シチズンクロックのデザイン企画
     主にカラクリ系を得意とする
1986年 株式会社サンリオ 商品企画部入社
     立体系商品、海外向け商品の企画を主に行う。
1991年 株式会社サンリオファーイースト出向 
     サンリオキャラクター以外のデザインを含む様々なアートデレクション
     商品企画を行う。
2010年 早期退社。、オリジナルコンテンツで残った人生を燃やす決意をする。
リズム時計時代の仕事
からくり系、と言っても当時はIT技術などほとんどない時代。アナログで勝負してました。
手作りサンプルで営業部門をあおっては工場側に嫌われるパターン。いい上司に恵まれたおかげでやっていけました。
30年以上たってもその上司に叱咤激励されています。
サンリオ時代の仕事
サンリオは平面デザインで勝負している会社ですが、普通のプランナーやデザイナーが手に余るメカ物、金型物を主にやっていました。
アメリカ輸出用の商品でヒットだし、それがのちのタイヘンな子会社に入るきっかけになってしまいました
サンリオファーイースト時代の仕事
サンリオの子会社です。基本何でも儲かることはガムシャラにやるという会社です。中国のメーカーやらわがままなお客にもまれて商売の厳しさを叩き込まれました。自分で「描く」仕事からアートディレクターになりました。
食玩(お菓子のおまけ)、UFOキャッチャーのぬいぐるみ、ファーストフードのお子様向け景品、イベント用商品、物産・・ 多種多様な商品を馬車馬のように作ってました。
印象的な仕事は優秀なデザイナーたちとオリジナルキャラクターを起こす仕事を多くやれたこと。
そして、何より身につけたのはわけのわからないお客様の要望を「たとえばつまりこういうふうなものですね。それには〜」と絵をかいて落とし所をみつけてやる技術ですね。

公開できないお仕事が多いのでお会いできればいろいろご紹介もできます。
独立してからの仕事
「仕事・実績」ページとギャラリーページに詳しく載せております。

賞歴

1981年マンガ作品で少年ジャンプ主催フレッシュジャンプ賞入選。
1994年 アニメ作品でヤングジャンプ&読売テレビ主催「シネマ大好き大賞、入選
2005年 3DCG作品でHNKミニミニ映像大賞 優秀賞 入選
2006年 3DCG作品でHNKミニミニ映像大賞 優秀賞 入選
2007年 3DCG作品でCGアニメコンテスト(DOGA)番外編収録
2007年 3DCG同作品でHNKデジタルスタジアムで放映
2008年 FLASH作品でHNKデジタルスタジアムで放映
2008年 Bz-R AWARD 3rd Stage のFlash部門で入賞


こういう仕事しているわけ


私は20代の頃は時計メーカーの工業デザイナーだった。
入社した頃は時計には二つのデザインしかなかった。伝統的なスタイルとモダンデザインのスタイル。
二年して意匠部のトップに若い課長が赴任するのだが、彼は当時女子に流行ってきたファンシーグッズの要素を取り入れようとした。例えば、振子にエンゼルを 付けてブランコのように見せる、とか飾り歯車を露出させたり、秒針を風車のように見せるとか。その時すでにキャラクターや花をプリントしたデザインはあっ たが、さらに踏み込んで大人っぽく処理したものを積極的に作らせた。
最初は社内では不評で(時計を雑貨にする気か?)とエライ人に言われた。しかし課長は強引な根回しでそれらを次々実現した。それは社内では(感情移入型商品)と呼ばれた。感情移入型は結構売れて業界トップの精工舎までそういうデザインに追随するようなった。私は30で転職するのだが、その後その会社はク ロックのシェアで業界トップになり課長は40代で取締役になった。
私はキャラクターグッズの大手の商品部プランナーに転職した。そこの社長は電話からテレビから電気製品何でもキャラクター型にしてしまえ!という壮大な野望を持っていた。その人が若い頃商品化したという、鳥のくちばし型電動ハサミを見て驚いた。(全然売れなかったそうだが・・・)その社長のトンデモナさに(アホか?ありえねぇ)と思つつ尊敬した。私がその役目を担い100枚以上のスケッチをするのだが実現したのは3.4しかなかった。数千万円の金型代を かけて200しか生産しない大赤字品もあった。しかし後からその中で海外で売れる物が2つ程あり私は貿易課に転属されて生き延びた。大赤字だったテレビは10数年後オークショ ンで20万円の値(発売価格5万円)が付いていた。

それから幾星霜、カワイイとかユルいという言葉が生まれあらゆる業界に浸透している。
それはハードウェアの性能や品質が良くてしかも安いのが当たり前の国だからだと思う。飢えや敵国に怯え、狂信的愛国心に染まったり、人種や宗教や階級に縛られない社会だからこそだと思う。大人だって子供の好きなものは好きな事もあるし、怖い物よりやさしい物が好きだし、萌えてみたい事もある。オタク文化やカワイイ文化が世界の若者に支持されているのは、自由奔放に自分の気持ちを表現できる生活にみんな憧れてるからだと思う。
日本が豊かで平和な国の証だと思います。

取締役になった課長はすでに定年していますが、今でも時々会ってカツ入れてもらってます。
鳥のくちばしのハサミを作った社長は八十を超えて今も現役でその会社は世界的な有名ブランド企業になっています。

私は今、企業マンガやアニメを作る仕事をしている。純粋にエンターテイメントのためのエンターテイメントより、左脳でガチガチに硬化している人達の考え方 をほぐす方が、「やったろうじゃん!」という興味がわく。今でも私のプレゼンに正論で否定したり無視したりする人は多いが、平気でいられるのは、規格外 ビッグな人の下で働けたおかげだと思います。
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